特集-リレー連載

タイトルどおりSNS保健指導向上委員会の現場に関わる会員の方を中心に、リレー形式で連載記事を執筆いただく企画。毎回、執筆いただいた方に「次はこの人にこれを聞きたい!」をお聞きし、バトンをつないでいきます。

第22回は、岩室紳也さん⇒高橋裕子さん へのバトンです。

第22回
「心をつなぎ、いのちをつなぐ 〜禁煙マラソン」

医師
高橋 裕子(たかはし ゆうこ)
(SNSハンドルネーム:高橋裕子)
奈良女子大学教授・京都大学病院禁煙外来・予防医療クリニック担当医。
京都大学医学部卒業、京都大学大学院博士課程修了の後、天理よろづ相談所病院、大和高田市立病院を経て現職。
1994年から大和高田市立病院にて「禁煙外来」を開設。1997年からは全国の喫煙者を対象にインターネットで「禁煙マラソン」を主宰し、全国規模での禁煙活動に積極的に取り組み、高い禁煙率を実現。1999年から全国禁煙アドバイザー育成講習会を開催。

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高橋裕子さんからのひとこと
岩室先生から「人がこころを動かされ、気がつけば行動も変わっているということが禁煙の世界でもいろいろあると思います。ぜひ人にやさしい健康づくりのコツを教えていただきたい」とのこと。今までに禁煙支援をとおして出会った多くの方々からいただいた“つながり”について、書かせていただければ思います。

禁煙した人たちの喜びに感動して

禁煙の魅力に魅せられて20年以上がたとうとしています。そもそも普通の内科医師であった私が禁煙という、そのころは医療の一部と考えられていなかった領域に入っていったのは、禁煙した人たちの喜びの大きさに接してのことでした。

そして、今になってますます、禁煙を支援することの楽しさを深く感じるようになってきています。何が楽しいかって?何もかも楽しいのですが、一つ挙げるとすれば、「人間ってすごい!」と感動するうれしさ、楽しさだと思います。

たとえばこのメールを見てください。

「私は20年間、毎日、禁煙しなければいけないと思いながらも無理なことと諦めていました。HPで禁煙マラソンを知り、『禁煙できればもうけもの』くらいの軽い気持ちで申し込みました。それから7年。禁煙して何より嬉しかったのが、たばこなしで生きられるようになったことです。『これが本当の自由なのだ』と気がつきました」

これは、禁煙マラソン(禁煙のメールサポートプログラム)で、これから禁煙しようという人を励ます40代の女性のメールですが、「これが本当の自由なのだ」とは、実に力強いですね。でも禁煙する前は、彼女も「禁煙したいけど無理」とあきらめていた、普通の喫煙女性だったのです。

人は禁煙を通じて、こんなに変わります。それを傍で見ていると、人間ってすごいなあって感動します。すると脳内のドパミンがどっと出る。元気が貰える、というわけです。

おかげで禁煙支援は、やめられません。ますます楽しくなるばかりで、気がついたらもう20年ちかくも、禁煙支援をする医者をやっています。


"禁煙できる"ことを教えてくれた屋根職人の親方

ところで「どうして禁煙の医者に?」とよく聞かれます。その話を少ししましょう。
私はもとは消化器内視鏡医でした。外来で胸ポケットにたばこの入っている患者さんを前に「え?まだ、たばこ、吸ってるの? 駄目じゃないですか。また十二指腸潰瘍が悪くなりますよ! 絶対、たばこやめてください」
医者から頭ごなしにこういわれたら、たいていの人はその場で「すみません」とか「はい、わかりました」と言います……言わざるを得ません。でも病院から出たとたんに、「きょうの医者はいやなことを言う医者だったなあ」と思いながら、一服してしまう。そして次の診察日には、やっぱり胸ポケットにはたばこがある、という状況でした。

そのころ私は思っていました「いくら言っても、喫煙者はたばこをやめない」。
でもこれは大きな間違いでした。

その間違いに気付かせてくださったのは、私の外来に通ってきていた、滋賀県の職人さんでした。彼は屋根職人の親方で、一日2箱くらいたばこを吸っていました。十二指腸潰瘍がなかなか治りきらず、消化器内科に通院していて、私は主治医でした。私は彼に、他の人と同じようにたばこをやめるように言いました。どうせ言ってもたばこはやめられないだろうなあと思いながら。

にもかかわらず、彼は禁煙しました。2ヶ月後、診察室に入ってきて、「先生、なんとか、たばこ、やめれそうです」

私は仰天しました。「ほんとうに禁煙する人がいるんだ〜」今では禁煙支援が私の日常ですから、禁煙してゆく人たちにお会いするのは普通のことですが、当時はまだ、たばこを吸うのは男性の特権、のような時代でした。

そこで私は尋ねました。「どうやって禁煙したの?」彼が禁煙するのに使った方法は、吸いたくなったら氷水を飲むという方法でした。今はもう、こうした禁煙方法を医師が勧めることはありません。これは今のように医療が発達していなかった時代の禁煙方法だと思ってください。しかしともかく彼は、自分なりの工夫で禁煙しました。

その彼を見て、わたしは思いました。そう、禁煙に必要なのは「方法」なんだ、と。

禁煙というと、意思の力で頑張るものだと思われていましたが、禁煙の開始には自分なりの方法をみつけて実行すること。これが禁煙への近道だと、彼は私に教えてくれました。ちなみに今では禁煙の開始には、彼が実行したような「日常生活の工夫」(行動療法と呼びます)よりも禁煙補助薬を使う方法のほうが成功率も高く、普及しています。しかし一旦はじめた禁煙を続けるにはいろいろな工夫が必要になり、その中には彼が利用したような「吸いたくなったら氷水を飲む」という工夫も含まれます。

もうひとつ、私がびっくりしたことがありました。それは彼が禁煙できたことを心から喜んでいるのを見たことでした。

彼はとても大人しい人でした。その大人しい職人さんが、診察室で身を乗り出して、禁煙して家族がどんなに喜んだか、自分もどんなに仕事が楽になったか、禁煙してどんなによかったかを、目を輝かせ、朴訥な言葉で一生懸命に話すのです。

彼の顔をみながら、私は思いました。禁煙できてこんなに喜ばれるなら、これを私の医療にしたい。日本中のたばこを吸っている人たちに、禁煙して喜んでほしい、と。
それからどんどん、禁煙のお手伝いにのめりこみました。


禁煙はひとりひとりにとって大きな人生ドラマ

1994年に奈良県内の病院に「禁煙外来」を設立。
1997年には、当時まだ珍しかったインターネットをつかった禁煙のプログラム「禁煙マラソン」を立ち上げました。

そして2001年には、日本の大学病院でもっとも早く、母校の京大病院に禁煙外来が設立され、その担当医になって今に至っています。

そのころに比べて、禁煙をめぐる社会環境は大きく変わりました。禁煙には「決心する」「開始する」「継続する」の3つの難所があると以前から言われましたが、最近は社会全体が受動喫煙防止やたばこ価格値上げに向かっていますので禁煙の決心がつけやすくなりましたし、禁煙補助薬のおかげで禁煙のスタートは多くの人で、以前に比べてあっけないほどの簡単な作業になっています。しかしながら、禁煙の継続が禁煙の難所であることは以前と変わりありませんし、ひとりひとりにとっては禁煙が大きな人生ドラマであることは変わりません。

こんなドラマがありました。

29歳の彼女が禁煙したのは、付き合っていた彼が非喫煙者だったからでした。何とか彼をゲットしたいという焦りもあり、禁煙マラソンに参加しニコチンパッチもつかってすっぱり禁煙しました。めでたしめでたし……だったはずですが、世の中はそれほど甘くはありません。せっかく禁煙したのに、彼の煮え切らない態度。こっそり彼の携帯をみて納得です。やはり彼にはもう意中の人がいました。しかもそれは自分の知人で、憎たらしいほどかっこよく細いたばこをくゆらせている女性でした。

「どうして禁煙なんか、したんでしょう」と彼女は禁煙マラソンにメールを送ってきました。「今となっては、禁煙なんかしなければよかったと思う気持ちが頭の中をぐるぐるまわっています。禁煙しても何にもならない。良いことも起こりませんでしたし、失ったもののほうがずっと大きいと実感しています」

さてどのように励ましましょうか。
禁煙マラソンの先輩たちのメールを見てみましょう。

「禁煙してからの後悔、私もそうでした、でもこれ、ただの未練ですよ。「なぜ、あんないいものをやめてしまったんだろう」という記憶による未練。しかし、心配はいりません。時間が解決してくれます。時間をかければ状況は必ず未練は消えて、事態は好転しますから」

「1日、また1日と「いま、吸わない」を積み重ねていけば、必ず「禁煙していてよかった」となりますよ。ゲットしましょう、そんなステキなあなた自身を!そのころにはきっと彼なんかよりずっと素敵な人があなたに近づいてきますよ」

先の見通しを持つことは禁煙の継続に役立ちます。先輩たちは実に的確にアドバイスを返してくれますよね。彼女が禁煙を続けたことは言うまでもありません。

禁煙に限らず、長年続けてきた行動を変えることはドラマのように波風があって当然です。人間が行動を変えるときには気持ちの変化と行動の変化が起きることを指摘したのは米国の心理学者プロチャスカ氏でした。そのプロチャスカ氏はもっとも難しいのは最後の段階つまり行動を続けることであり、禁煙マラソンはうまくできたプログラムだと指摘しました。同様のことは他の心理学の専門家からも指摘いただいています。

ちなみに禁煙マラソンは1997年に私が立ち上げた、インターネットを利用した禁煙の長期支援プログラムで、そのベースになるのは「先輩が後輩をサポートする」ことですが、他のプログラムと違い、いわゆる「みんなでわいわいがやがやいいあって」の玉石混交状態のアドバイスが雑然と到来するのではありません。品質の保証された先輩のアドバイスが、多すぎず少なすぎず到来する仕組みになっています。

これはアドバイスする先輩の側にも、それを受ける参加者の側にも負担をかけずに禁煙を楽しめるシステムづくりを参加者が工夫して構築してきてくださったおかげであり、禁煙した人たちの願いがこもったプログラムだと実感しています。


禁煙からうまれる"つながり"

最後に、もうひとつドラマを紹介しましょう。

その人は55歳。早すぎる年齢でしたが膀胱がんの全身転移で入院していました。膀胱がんが見つかったとき、私の禁煙外来に来て禁煙しました。しかしがんは猛威を振るい、この人の人生を終わらせようとしていました。秋の病棟の廊下で私と出会ったとき、やせ細って車いすに乗った彼はかすれた声で私に声をかけてきました。「先生、お世話になりました、でももう無理なようです」私は車いすの横にしゃがみました。「先生、お願いがあります」と息をついで彼はつづけました。「息子がたばこ、吸ってます。やめられないようです。そのうち、先生の外来に行くと思いますので、先生、助けてやってください」私は大きく頷きました。

それから1か月ほどして、禁煙外来に中学生が一人でやってきました。膀胱がんで逝った患者さんのご子息でした。私の禁煙外来に中学生が来るのはそれほど珍しくはありませんが、一人でやってきたのは彼が初めてでした。診察室に招き入れますと礼儀正しく頭をさげて挨拶してから「父がお世話になりました」と話し始めました。彼の父親は、もういよいよ駄目となってから外泊を希望して家で一晩をすごしたそうです。そのときいつものように、父親の前で息子はたばこを吸いました。父親はそれをじっと見ていました。また何か言われると思った反抗盛りの息子は、「おやじ、吸いたかったら吸ったらどうや」とたばこの箱を父親の前に投げました。父親は静かに言ったそうです。「俺は、たばこをやめるのがどんなに大変か知っているから、お前にたばこをやめろとは言わん。だがお前の父親はがんばってたばこをやめた。そのことだけはわかっておいてくれ」。それを聞いた息子さんは、父親が亡くなってから私の禁煙外来に一人でやってきたというわけでした。

禁煙が心をつなぎ、いのちをつなぐ。それを実感してこの20年を過ごしてきました。禁煙のお手伝いを通じて、同じくいのちをつなぐ仕事をしておられる、とても素晴らしい大勢のみなさまと心をつないでいただいてきたことを感謝しています。

そのおひとりの岩室先生からこうしてバトンをいただきましたが、そのバトンを私と同じく、心をつなぎ、命をつなぐ仕事をしてきた愛弟子(?)の三浦秀史先生に渡して、私の稿を終わりたいと思います。


次回予告

高橋裕子さん⇒三浦秀史さんへのバトン
「三浦さんは私が提供した禁煙マラソンの最初の年の参加者で、まあいわば愛弟子です。すでに師匠をしのぐところまで成長してくれたと、出来の悪い師匠は喜んでいます。SEとして企業に勤務していた立場から一転、禁煙支援という世界に入って心をつなぎ、いのちをつなぐ仕事をしてきたなかで、感じていることなどを教えてください」とのこと。

次回をお楽しみに!

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